初めてニューヨークに住んだ頃の話
知り合いに紹介してもらい
現地の音楽プロデューサー、DJをしている男性のお家に住ませてもらっていた。
現地の留学生はほとんど経験するだろう「シェア」だ。
私の場合個人部屋を与えられるわけではなく、彼の音楽部屋を部屋として与えられたため
彼が仕事しない時は有意義に過ごせるのだが
一度仕事が始まると、爆音の音楽の中寝る・・・・
無心になって寝る・・・・・
そんな面白い生活を送ることになった。
寝ている横で爆音の音楽が流れ、、たまにアドレナリンが出まくって
踊り出すときはもう迷惑極まりないのだけど
この彼こそ、どこのものにも染まっていない
ザ・アメリカ人!ニューヨーカー!!!!
異国の出身者として憧れのニューヨークを体験するのではなく
しっかりと現地人の考えや文化に触れたかった。
憧れも強かったけど、流石に寝てる時に起こされて一緒に踊ろぞ!と言われた時は
いやだ!!私は眠いっ!!!!!!!
と声を大にして叫んだもんだ。
日本にいると、絶対しないだろう。という常識や感覚はもはや何処へ。
だからいろんな問題も起きるんだろうけど。
それはさておき。
人がどんな顔をしようとどんな想いを思おうと
自分の好きなことに真っすぐなのが私が出会ったニューヨーカーたちだ。
自分の好きなことをやるのが大事だ。
そんなことを学んだ。なんて私は言わない。
正直いうと、救われた方が大きい。
日本ではほとんどの人が好きなように生きているのに
そのことに気づかず、ちょっと風変わりなことをしているだけで
好きなことをしている、自分勝手、自己中と言われる。
もちろん、理解してくれる人もいないわけじゃない。
ただ、言われる側はどんなことを言われようと周りを気にしていたり、遠慮していたりするのだが
そのような想いが届くことない。
周りから好きなように生きているように見られる人間は
断定的に自分のことしか考えてない!見えてない!と思われる傾向がある。
相手の姿を見て思いやる姿も大切だし、オーナーの彼の行動は迷惑だった時もあるけど
それでも嫌いにならなかったのは
そんな秩序や優しさという感覚的なものではなく
目の前には「好きなことをやって、楽しくて、嬉しくて、」を体現している人を目の前にすると
「私はこのままでいいんだ」と思えた。
「むしろもっと、自分の心に素直でいいんだ」と思えた。
1人でも楽しめる力をつけることはこれからの人生に役に立つ。
補足してもう一つ。
オーナーの彼は行動は、それでもありえないでしょ?と思う人がいるかもしれない。
でもね、
話せばきちんとわかってくれる。
話させなくても寝てる人の横でスピーカーバンバン鳴らすのおかしいでしょ?
が通用する人もいれば、通用しない人もいる。
この通用しない人が世間の極小な割合であったとしても
そういう人もいる。
この時に大事なことは
ありえない!と怒るのではなく、呆れて無視するのではなく
怒ってもいいから想いはきちんと伝えなくてはいけない。
伝えれば分かり合えること、解決できること大半だ。
つい自分や世間の基準で、
できて当たり前、配慮できて当たり前、迷惑なことぐらいわかるだろう。
それは違う。
たとえどんな小さな出来事でも
伝えなくても意思疎通ができるのは奇跡中の奇跡だろう。
生まれ育った日本でも異国の地であろうと
そもそもが育った環境や縁した人たち、教育などなど一緒ではないから。
そんな奇跡的な意思疎通を自分基準や世間基準で
当たり前だなんて思わないようにしたい。
きちんと伝えること。